
窓辺のたばさとカブ・・・おねえちゃんだけれど、小さい方がたばさ。体は小さいが、いつでもどんなときもカブのおねえちゃんで、カブはたばさの後姿ばかり見ていたし、真似ばっかりしていた・・・と、カブにとって「なくてはならない存在」だということが、わたしはすごく好きだった。けれど、たばさがいなくなってもカブはうろたえることなく淡々と過ごしている。先日、中村勘三郎さんのテレビ番組で、先代の勘三郎さんが信頼していたお弟子さんがいて「わたしが死んだら小山三(お弟子さん)を棺おけに入れてくれ」と言ったというのをやっていた。実はわたしも同じことを言っていた。わたしはたばさを看取りたい・・・と言っていたのだが、万が一わたしが先に死んだら「たばさを棺おけに入れて」って・・・たばさにとってわたしは「なくてはならない存在」だと、わたしが思い上がっていたし・・・今も思い上がったままなのだ。