
たばさの命日にお花をいただく。お心遣いに感謝、感謝。たばさがもう寝たきりになった頃に咲いていた花や、空気や月のあかりや旬の野菜や・・・やっぱり色濃く思い出しては滝のように涙が溢れて出てくるのが3月。3月にかかわらず、1年中思い出しては笑ったり、寂しくなったりしているのだが。たばさと出逢って家に連れて帰った翌日にはもう入院という、そんなスタートだったので「いつか」くる別れの日が日常と隣り合わせの10年3ヶ月だった。まだ体重が1.7kgの頃に三途の川を渡りかけていたので、毎朝起きたら「おはよう。起きた=生きてるな」というような朝を迎えていたのだった。目覚めてたばさがいることが幸せで幸せで・・・今はいないけれど不幸ではないのだなぁ。それはなぜかわからないけれど、わからなくていいと思っている。