内田さんは「修業」という「業」の字でいらっしゃるが、わたしは「修行」の「行」を採用しているので、違いをネットで検索すると、さっと出てきた。知恵袋。なんだかすごい。微妙な使い分けがあるらしいが「人間が神に育つ為の努力」という意味は同じだそう。ほぉ~、そんな意味があったのだ。 ―抜粋(まえがき)―修業する人は、「自分が何をしているのいか」を「しおえた後」になってしか言葉にできない。<中略>修業は商取引とは違います。「努力」を代価として差し出すと使用価値の明示された「商品」が手渡されるというシンプルなプロセスではありません。だから、消費者として育てられてきた子どもには意味が分からない。市場と商品しか見たことがない子どもにはどうしても修業ということの意味がわからない。 ↑忽然とあらわれた『修業論』 内田さんのおっかけのわりに情報に疎い。 ファンだけど、ガツガツするのがかっこ 悪いと思っているわたし。
by Tabathatokabu
| 2013-08-09 08:50
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